おやのことば 12月8日

今年も最後の月になりました。

毎年、この時期になると思い出す人がいます。留学中、学生寮で同室だった友人です。名前の漢字表記は「明年」。日本語ではないので、名前の発音を聞いても違和感はありません。ただ、彼の母国語でも、言葉の意味は「来年」であり、子供のころからよくからかわれたと言っていました。

いつも未来に希望をもって、前を向いて生きていく。子供の人生に希望を託した素晴らしい名前だと思うのですが、本人は自分の名前を好きになれなかったようです。

「一年の処思やんしたら分かる。今年の事分かる。来年の事は分かろうまい」

人一倍の努力家だった彼にとって、一番大切なのは「今」であり、「明年」という名前は気楽な感じがしたのでしょうか。実際、試験の前はほとんど寝食を忘れて勉強していました。朝型だった私に対して、典型的な夜型の人でしたので、共に時間を過ごしたのは、いつも夕方の1時間くらいです。でも、短い時間に随分いろいろな話をしました。

「明年」という名前もよく話題になりました。今年を充実した年にしないと、良い来年は迎えられない。彼はよくそう言っていましたが、現在はどうしているのでしょうか。すぐに会えるような気がするのに、なかなか機会がありません。今年も再会できませんでした。”明年”に期待することにします。(岡)

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