おやのことば 5月24日

先日、新聞に興味深い記事がありました。

人間の脳は、実際には完成していない文章でも、言葉の区切りになる部分をうまく配列することで、問題なく読めてしまうという話題です。

例文を読んでみましたが、最初はごく普通の文章に見えました。つかえることなく、スラスラと読むことができるのです。

でも、一語ずつ丁寧に文章を読み進めると、本当は全く意味をなしていないことに気づきました。

日ごろ私たちは、文章や言葉をありのままに認知しているのではなく、あらかじめ用意された”フィルター”を通して理解しているのかもしれません。

「分からにゃ分かろまい、聞き分けるなら皆分かる」

「おさしづ」を拝読していると、人間の都合や尺度に合わせて神意を理解することを戒めるお言葉が少なくありません。

現在の自分の置かれた状況を考えるとき、誰でも自分に都合の良い解釈をしがちです。しかし、親神様の目から見れば、目の前の出来事には、人間思案に曇った目には見えない、本当の意味があるのです。神意を受けとめるには、認めたくないことも認める素直さが必要だと思います。

スラスラと文章を読んで、すぐに理解したと思うのではなく、よく目を凝らして、じっくりと言葉を追っていく姿勢も大切ですね。(岡)

ページの先頭へ