春の暖かい太陽の光を受けて、草木の新芽がグングンと成長する季節がやって来ました。真っ青な空と新緑のコントラストが鮮やかです。
自宅周りの草刈りを終え、小学生の娘と一緒に芝生に横たわると、はるか上空にツバメが飛び交っているのが見えました。まるで水中を遊泳するように、大空を滑空するツバメを見ていると、なんだか心が弾みます。
「ツバメのように、大空を自由に飛び回りたい……」
そう思う一方で、たとえ空を飛べなくても、自由に体を動かせることへの喜びを感じる一日でした。
「さあ/\何かの処、身の自由自在聞いて、ほんに成程という処分かる」
刈りたての芝生を素足で歩いていると、全身に自然の恵みを感じます。草を踏みしめること、大空を眺めること、鳥のさえずりに耳を傾けること――すべて親神様の自由自在のご守護なのです。
「かしもの・かりもの」の教えの素晴しいところは、日常生活の中に親神様のご守護を感得し、今日を生きる喜びを感じられることです。
ツバメのように空は飛べませんが、今朝も歩いて新聞を取りに行き、おいしい食事を味わい、家族や友人と語り合えることは、決して当たり前のことではないのです。
そう考えると、道端の雑草にも愛着を感じませんか。(岡)