おやのことば 2月20日

チリリーン。

優しい電子音の繰り返しで目が覚めました。昨晩、就寝前に仕掛けておいた目覚まし時計です。窓を開けると、空にはたくさんの星が輝いています。夜明けには、まだ少し時間がありそうです。

台所でコーヒーを入れる準備をしていると、傍らの炊飯器から湯気が立ち上ってきました。これも昨夜から、タイマーをセットしておいたのでしょう。かつては、早朝の冷たい水に手をさらさないと、朝に温かいご飯を食べることはできませんでした。ずいぶん便利になったものです。

暖房のスイッチは自分で入れました。でも、ただボタンを押すだけで、昔のように焚き付けを準備する必要はありません。

「世界の処、理を聞き分け。何かの処、かりもの自由自在」

何もかも自動化が進み、生活は便利になりました。とはいえ、この便利さも、体を自由に動かせなければ感じることはできません。

指でスイッチを押すという簡単な動作でさえ、親神様のご守護なしには不可能なのです。ただボタンを押すだけで何でもできるのではなく、今日も「かりもの」の体を自由に使えるから、便利な道具を使いこなすことができるのです。

どんなに便利な世の中になっても、生かされていることへの感謝と喜びの心は、忘れないようにしたいものですね。(岡)

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