災救隊 青年会隊ほか活動リポート(5月10日記)

■2011年5月14日

「東日本大震災」の被災地に4カ所の活動拠点を設け、さまざまな救援活動を繰り広げている災害救援ひのきしん隊(=災救隊)。その一つ、宮城県東松島市では、拠点を設けた4月2日以降、5月10日現在までに延べ17教区隊260人が実動。瓦礫や土砂の撤去作業に力を尽くしている。

震災から50日余り経った4月30日には、青年会本部の委員・部員15人による「青年会隊」が現地入り。鳥取、広島の各教区隊とともに、市内の中学校などで土砂の搬出に当たった。ひたむきに取り組む隊員たちの様子を、天理時報5月15日号掲載のリポートから一部抜粋する。

 

 4月30日夕刻、青年会隊の隊員15人を乗せたマイクロバスが、拠点である大塩地区の「鷹来の森運動公園」に到着。4月27日から活動中の鳥取教区隊の18人と合流した。

 5月1日、小雨の中、隊員たちは市立矢本第二中学校へ向かった。

 沿岸部に程近い同校は、津波の被害を最も大きく受けた学校の一つ。数日前から授業を再開したものの、中庭やグラウンドには、ヘドロや瓦礫はもとより、学習ノートや運動シューズ、一輪車などが散乱したままだ。

 午前中の活動で帰路に就く鳥取教区隊は、グラウンド横のフェンスの修復作業に。一方の青年会隊は、中庭とグラウンドの二手に分かれ、流入した土砂の撤去などに取り組んだ。

 この日は日曜日。校舎に生徒の姿はなく、重機の操作音と隊員のかけ声だけが校内に響いた。

「この土砂が無くなれば、生徒は喜ぶだろうな……」

「絶対、ここまでは今日中に終わらせるぞ!」

 雨が強くなるなか、作業を続ける隊員たちから、そんな声も聞こえてきた。

 そうした隊員たちの様子を見て、同市の災害対策本部関係者は「グラウンドや校舎内の大まかなヘドロや瓦礫の除去は、自衛隊や業者にしていただいたが、駐輪場などの細部までは手が回らずに困っていた。天理教の皆さん方が連日、そうした部分を丁寧に清掃してくださり、本当に感謝に堪えない。慣れ親しんだ環境を元通りにすることが、子供たちの元気につながるんです」としみじみ語った。

 翌2日は、鳥取教区隊に替わって前夜に現地入りした広島教区隊の19人が加わった。

 この日は、北西の強風が吹きつけ、砂塵が舞う中での作業となった。

 青年会隊は、前日に続いて中学校へ。一方、広島教区隊は、沿岸の大曲地区にある「上納地区センター」へ出動した。

 同センターの室内には、15センチほどのヘドロが積もったまま。隊員たちは声をかけ合い、重機を駆使しながら、畳や瓦礫の搬出作業に従事した。

「ここにも、天理教さんが入っているんですね」

 災救隊の動きを眺めていた作業着姿の男性(33歳)が声をかけてきた。聞けば、気仙沼市出身で、家や親類を津波で失い、現在は勤め先の土木会社から派遣されて、東松島市の復旧活動に当たっているという。

「私は何もかもすべてを失った。故郷で復旧活動に励みたいとの思いがあったので、初めは今回の派遣に戸惑った。けれど、全国各地から故郷へ駆けつけてくださっている“青ヘル”の皆さんの姿を毎日この周辺で見ていて、どこにいても、人のためにできることはたくさんあるのだと教えられた。本当にありがとうございます……」

 一方の中学校では、正午前、授業が行われるなか、青年会隊の隊員が長さ100メートルほどの駐輪場の泥上げに汗を流していた。

 災救隊と学校側が要望や作業上の改善点などを話し合う席では、同校の陸上部顧問の教諭から「普段通りの学校生活が送れず、大きな不安や精神的ストレスを抱えている生徒も少なくない。そんななか、陸上部の子供たちが『練習場をあれだけ丁寧に整備してくださっているのに、自分たちがいつまでもクヨクヨしていられない!』と口々に言っているのを見かけた。皆さんの姿が、生徒たちの心に勇気を与えているのだと思った」と。

 グラウンドでは、隊員たちが強い日差しのもと、土砂の撤去を続けていた。そのひたむきな様子を、教室の窓から食い入るように見つめる生徒たちの姿があった。

(5月10日記、天理時報5月15日号から一部抜粋)

[隊員たちは、東松島市内の中学校のグラウンドで土砂の撤去などに従事した(5月1日、矢本第二中学校で)]

 

[公共施設で土砂撤去に取り組む隊員たち(5月2日、東松島市市の上納地区センターで)]

  

□動画はこちら□