災救隊 東松島拠点 実動リポートから(4月13日記)

■2011年4月18日

4月2日、「東日本大震災天理教災害救援対策本部」(上田嘉太郎本部長)は災害救援ひのきしん隊(=災救隊・田中勇一本部長)の宮城県における活動拠点を、市の強い要請を受けて、宮城教務支庁から津波で甚大な被害を受けた東松島市内へ移転。4月4日から6日にかけては、滋賀・岐阜の両教区隊が合同で、道路沿いに積もった泥や瓦礫などを搬出する作業に尽力した。道友社記者のルポ(天理時報4月17日号掲載)の中から一部抜粋してその様子を紹介する。

活動拠点となったのは、沿岸部から約3キロに位置する「赤井公民館南区西地区分館」。この地域では、地震発生後10日間、辺り一面が2メートル近く冠水したままだったという。ここから沿岸部へ1キロほど近づくと、津波の爪跡が広がっている。

災救隊が同公民館への移転を始めたのは3月28日。仙台市内で給水活動に当たっていた東京教区隊の15人と、3月30日に東松島市入りした愛知教区隊の25人が、浸水した公民館の敷地内や外回りを清掃・整備し、4月2日に移転が完了した。

今回、市災害対策本部から要請されたのは約2キロ四方の地区内の土砂や瓦礫などの撤去。

4月4日午前8時の出発式の後、滋賀教区隊の15人が現場へ。前夜に現地入りした岐阜教区隊の16人は、30分ほど周辺地域を視察した後、作業に加わった。

滋賀教区隊が担当したのは、拠点から50メートルほど離れた住宅地周辺の道路。

2班に分かれた隊員たちは、20センチほど堆積した粘土状の土砂を撤去し、約6キロ離れた土砂処理場へトラック2台でピストン輸送。市内各地からトラックが押し寄せるため、渋滞で往復に30分以上かかる。作業の合間も、周辺の住民からの求めに応じて手助けをした。

一方、岐阜教区隊は沿岸部へ延びる街道へ。道路の両側には、土砂や瓦礫のほか、大量の“震災ゴミ”が山積している。

隊員たちは、震災ゴミを「畳」「家電」「混合ゴミ」など、市が定めた分類に従って細かく仕分け、重機を使って4トントラックへゴミを積み込んだ。

この日は2トントラック4台、4トントラック1台、重機2台が出動。畳約100枚、震災ゴミ4トントラック4台分、土砂2トントラック約30台分が両教区隊によって搬出された。

翌5日には、滋賀教区隊が拠点から200メートルほど離れた指定避難所「赤井地区体育館」の敷地内の土砂を撤去、岐阜教区隊は街道沿いで同様の搬出作業に当たった。

(4月13日記、天理時報4月17日号から一部抜粋)


隊員たちは、ゴミを細かく分別してから処理場へ搬出した(4月5日、東松島市赤井地区で)




道路に堆積した土砂を撤去する(4月4日、東松島市赤井地区で)




おぢばを遥拝後、現場へ向かう(東松島市内の拠点で)