特別寄稿 「裁判員制度」開始に寄せて

■2008年12月15日

人を裁く重さと〝心のたすかり〟胸に

来年5月、国民が刑事裁判に参加する「裁判員制度」が新たにスタートする。制度の開始に向けて、最高裁判所は11月末、有権者の中から無作 為に選んだ裁判員候補者29万5千27人へ一斉に通知を発送した。抽選で選ばれた一般人が、公判で「評決」と「量刑」の双方に関与する、世界でも類例を見 ない市民参加型の制度として注目を集める一方、通知が届いた人々からは不安や戸惑いの声が上がり、一部で混乱も起きている。この新しい司法制度に、私たち ようぼくはどう向き合えばいいのか。また、実際に裁判員に選ばれたとき、どのような心構えで臨めばいいのか。弁護士として長年さまざまな民事・刑事裁判に 関わってきた羽成守・日帝分教会長に、制度のポイントや選任時に想定されるケースなどについて分かりやすく説明してもらった。

来年5月1日から始まる裁判員制度は、平成16年に公布された「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」(裁判員法)に基づくもの。小泉内閣における一連の諸改革のうち、司法改革の目玉として導入された新しい司法制度だ。 そもそも日本の場合、これまでは”職業裁判官”だけが刑事事件を裁いてきた。これに対し、諸外国には何らかの国民参加型の司法制度がある。 このような中で、職業裁判官による判決や裁判のあり方が、国民感覚とずれているのではないかという批判が出てきた。こうして国民の司法参加が声高に叫ばれたことが、新制度が導入された背景にある。

世界に類例を見ない司法参加制度

では諸外国には、どのような司法参加制度があるのか。 たとえば、英米法の国には「陪審制」がある。これは、事件ごとに国民の中から抽選で選ばれた陪審員が、有罪・無罪を決めるというもの。無罪となれば裁判は終了。有罪となったとき、初めて裁判官が出てきて量刑を定めるという仕組みだ。 また、ドイツには「参審」という制度がある。これは事件ごとの選任ではなく、さまざまな関係団体から推薦された人が、任期制で参審員を務めるもの。参審員は裁判官と合議のうえ、評決と量刑の双方に携わる。 日本の裁判員制度は、陪審制と参審制を足して二で割ったものと考えれば分かりやすい。すなわち、事件ごとに一般国民から抽選で選ばれた裁判員が、裁判官 と同じ権限のもとに評議・審理を行い、有罪・無罪だけでなく、量刑まで関与して定める。原則的には、裁判員6人と裁判官3人を合わせた9人の多数決で決め られる。 なお、対象となる刑事事件は、殺人や傷害致死、危険運転致死といった重大事件に限られている。

月次祭の祭典日と重なったら……

裁判員はどのように選ばれるのか(別表参照)。 簡単に言えば、衆議院議員の選挙権を持つ20歳以上の国民の中から、地方裁判所ごとに毎年「裁判員候補者名簿」をくじ引きで作成する。単純計算で毎年350人に1人の割合といわれている。 たとえば殺人事件が起きると、その段階で名簿の中から裁判員候補者を選任する。事件の内容にもよるが、だいたい40人から60人くらいが選ばれ、公判日の6週間前までに通知が届く。 選ばれた人は、公判当日に裁判所へ行き、最終的に抽選で6人の裁判員が選任される。実際には、名簿作成から裁判員選任までの間に、さまざまな事由から辞退者などが出ることになる。 辞退については、模擬裁判に何度か立ち会った経験からも、裁判所の言う通り「原則的にできない」と思ってもらっていい。裁判員というのは、やりたい人がやるというものではなく、あくまでも”国民の義務”と考えてほしい。 例外は「重要な用務であって自らがこれを処理しなければ当該事業に著しい損害が生じるおそれがあるもの」(裁判員法第16条)。分かりやすく言えば、本人の代わりとなる人がいないケースである。 模擬裁判で実際にあった例としては、たとえば自営業の人でも、代わりを務める夫人や子供がいる場合は原則的に辞退できない。農繁期の農家の人でも、人手が足りないという理由だけでは辞退できないだろう。 ちなみに、同じ条文に「社会生活上の重要な用務であって他の期日に行うことができないもの」とある。この一節からすると、裁判が行われる日程が自教会の月次祭に当たる場合は、祭主である教会長の辞退は認められるかもしれない。 しかし、それ以外の教会家族やようぼくは、月次祭参拝を休まざるを得ないと思われる。

裁判員に課せられる厳しい守秘義務

公判は概ね2、3日で終わることを目指している。これは、裁判員の拘束期間をできるだけ短くするためだ。 そのため、事前に裁判官と検察官、弁護人が集まり、2週間ほどかけて膨大な量の証拠資料を整理する(公判前整理手続)。検察官と弁護人の間で、この証拠は認める・認めないといったやりとりを重ね、証人についても、誰を調べるのかを詰めてから公判に臨む。 公判では、裁判官だけでなく、裁判員も直接、被告人や証人に質問できる。 ところで、裁判員とその周囲の人には守秘義務が生じる。 まず「私は裁判員になりました」と公表してはいけない。あるいは「うちの夫が裁判員になりました」と言ってもいけない。また「○○は裁判員になったそう だね」と会社中に言いふらすことも守秘義務違反に該当する。もとより、教会の月次祭の祭典講話で話すことなど厳に慎みたい。 要は、裁判員となった本人を特定できる情報を公にしてはいけないということだ。これは、裁判員の身の安全を守るための配慮である。ただし、罰則規定はない。 これ以外にも、裁判員本人が「評議の秘密その他の職務上知り得た秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金」という厳しい罰則規定があるので、注意していただきたい。

事実見極め、良心に従って判断を

よくある質問に、「法律を知らないのに裁判員をやれるのか?」がある。 裁判の場合、事実認定は法律論ではない。この人は本当に罪を犯したのか否か、犯したとしたら、どんな動機で犯行に及んだのかを、従来の裁判官の視点に加え、素人の新鮮な目で見てもらうのが裁判員制度の目的であるから、自らの常識と良心に従って判断してほしい。 もう一つの質問は、死刑判決を下す場面に関与するのを避けたいというもの。しかし、裁判員に選ばれた以上は、関わった評決により死刑判決が出されることも当然あり得る。 一般の人にとっては非常に重い判断になると思うが、そこまでの覚悟をもって臨む必要がある。

冤罪は減るが、重罰化は進む!?

弁護士の立場から言えば、裁判員制度の開始に伴って、冤罪が減るのではないかと期待している。 裁判員裁判の特徴の一つに、公判前整理手続で検察官と弁護人の双方が認めた調書以外は、証拠として法廷へ出せないということがある。 たとえば、警察や検察に自白を強要されたかもしれない被告人が、法廷で「私はやっていない」と主張したとする。これまでの裁判では、元の調書と公判での調書の内容が矛盾した場合、前者を証拠として採用するという法律があり、これで有罪になるケースが少なくなかった。 ところが今回の裁判員裁判では、裁判員の前で被告人の口から語られたことをもとに判断するため、先述のような有罪になるケースは大幅に減るだろう。 その一方で、いったん有罪と決まると、量刑については、以前より重くなるのではないかという危惧もある。 世論調査に見られる強い厳罰傾向もさることながら、12月からスタートした裁判への「被害者参加制度」も、量刑の判断に少なからず影響を及ぼすことが予想される。 これは、犯罪被害者とその家族が刑事裁判に参加できる制度で、公判に出席したり、被告人・証人に質問したり、裁判官に量刑について意見を述べたりすることができるというもの。 たとえば、犯罪被害者の遺族が、涙ながらに自らの悲痛な心情や、置かれている窮状を訴えたとき、裁判員の判断が重罰化へ傾くことは大いに考えられる。

〝おたすけの場〟と考えることも

以上のことを踏まえ、もし自分が裁判員候補者となった場合、「個人的な信条で、どうしても人を裁くことができない」という人は、選任手続の当日、裁判長から質問を受けた際に主張すれば、辞退が認められる可能性はある。 ただし「面倒だから」「忙しいから」といった理由で、適当にごまかして辞退しようとすることは避けたい。 人が人を裁くことは誰にとっても重いことだ。だからこそ、公判や評議の場にお道の信仰者が関わる意義は大きいとも言える。特に、非公開で自由な発言が認められる評議の場では、教えに基づくようぼくのひと言が、場の空気をがらりと変えるということも十分に考えられる。 法廷は、無実の被告人が冤罪を免れるために与えられた数少ない弁明の機会でもある。また、たとえ過ちを犯した人であっても、罪を償ったうえでの更生や将来の社会復帰をも見据え、その人の〝心のたすかり〟につながることを胸に置いて、公判に臨んでもらいたいと願う。

(立教171年12月14日号)

【はなり・まもる】 昭和22年、東京都生まれ。45年、中央大学法学部卒業。51年、弁護士登録(東京弁護士会)。東京地方裁判所鑑定委員、日本弁護士連合会(日弁連)常務 理事などを歴任。現在、東京簡易裁判所民事調停委員、日本調1停協会連合会副理事長、中央大学法科大学院客員教授。日帝分教会長。著書に『事情だすけに役 立つ法律知識』(道友社)などがある。