悠々まほろば散歩 [2] | 天理教・はじめてのかたへ

悠々まほろば散歩
山の辺の道を歩く ①石上神宮から長岳寺へ page2/2

エッセイ・山の辺の道を歩く ①石上神宮から長岳寺へ 「悠々まほろば散歩」 作家 片山 恭一×写真家 小平 尚典 < まえへ 1 2 つぎへ >

 2日目は午前10時ごろから歩きはじめる。昨日のつづきで夜都伎神社をスタート。畑のなかを進む。農家や民家のあいだを抜けていくと、無人の販売所で米、野菜、果物などを売っている。小さな何気ないものが目に付く。歩行という速度が大切なのだ。自転車は速すぎる。ジョギングでもまだ速い。歩くことで見えるものがたくさんある。そんなものに目をとめて、写真を撮るのも楽しい。

無人販売所 【無人販売所】すごいなあ。21世紀、生き馬の目を抜くグローバル経済のなかで、こんなことが成り立つなんて。住んでいる人も、訪れる人も正直なのだろう。住んでいる人も、訪れる人も正直にさせる場所なのだろう。

 少し寄り道をして衾田陵(ふすまだりょう)(西殿塚古墳)に立ち寄る。東側には東殿塚古墳があり、その奥には中山大塚古墳が控えている。このあたりは発生期の大古墳が点在しており、近くには卑弥呼の墓とも言われる箸墓(はしはか)古墳もある。さらに念仏寺のお墓のなかを抜けて進む。神社が畑になり、畑と融合したような古墳があり、民家が点在するなかに墓がある。そのなかを山の辺の道はつづく。

衾田陵 【衾田陵】ミササギは天皇、皇后、皇太后、太皇太后の墓所。宮内庁が管理しているので、ちょっと厳しい雰囲気。

 もともと日本には、ヨーロッパに見られるような堅固な石壁に囲まれた城塞都市というものがない。奈良にしても京都にしても、都の外れがいつのまにか田舎になっている。明確な区画がなく、境界は甚だ曖昧である。そうした曖昧さが、山の辺の道を歩く心地よさにつながっている気がする。このあたりの田畑も、貴族や官僚の所有地のなかに庶民の口分田が混在する、というふうにして古い時代から営まれてきたのではないだろうか。

歌碑 【歌碑】人麻呂は『万葉集』に山の辺の道にかかわる歌を十数首残している。碑に彫られている歌は、そのうちの一首で衾田のあたりで詠まれたらしい。死別した妻への思いをうたったものだろうか。

 そんなことを考えているうちに長岳寺に到着。天長元年(824)弘法大師の開基と伝え、釜の口のお大師さんの名で親しまれる。大門を抜けて両側にツツジの植わった参道を進む。受付でチケットを買って鐘楼門をくぐる。弘法大師が寺を創建した当初の唯一の建物とされ、上層に鐘を吊った遺構がある。

長岳寺 【長岳寺】桜の時期も美しいだろうなあ。重文の鐘楼門の前で。いつも絵になる二人、と当人たちは思っているが、せっかくの雰囲気を壊してしまう、という意見も一部にあるらしい。どうぞ、お手柔らかに。

 本堂は天明3年(1783)に再建されたもので、本尊の阿弥陀三尊(あみださんぞん)のほか、多聞天(たもんてん)、増長天などの仏像や寺宝類を安置する。明るい縁側で一休み。寺を取り囲む山の緑が美しい。

山の辺スナップ 【山の辺スナップ】春の野を行く、桜井線の電車。「のどか」という言葉を運んで走る。

 本堂の少し手前にある旧地蔵院にも、ぜひ足を運びたい。寛永7年(1630)に造られた建物で、いまは庫裏として使われている。室町時代の書院造の様式を残し、同時代の美しい庭園がある。日溜まりに猫が寝ている。このお寺はなぜか猫が多い。杉や檜の梢を風が渡っていく。桜井線を列車が通る音が聞こえてくる。のんびりと穏やかな時間が流れていく。心が静かに澄んでいく。

山の辺スナップ

【悠々まほろば散歩「山の辺の道を歩く ①石上神宮から長岳寺へ  おわり】

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