悠々まほろば散歩 | 天理教・はじめてのかたへ

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悠々まほろば散歩
山の辺の道を歩く ①石上神宮から長岳寺へ page1/2

山の辺の道を歩く ①石上神宮から長岳寺へ 「悠々まほろば散歩」 作家 片山 恭一×写真家 小平 尚典

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 子どものころ「片山」という自分の苗字について、きっとご先祖は伏せたお椀を二つに切った片方のような山の麓に住んでいたんだろうな、などと想像していた。この想像は、半分は当たっているけれど、半分は違っていたようだ。折口信夫(おりくちしのぶ)によると、古い時代の日本語では修飾語と被修飾語の順序が逆になることがあったという。たとえば「カタヤマ」は「ヤマカタ」とか「ヤマガタ」とか言っていた。漢字で書くと「山方」や「山形」や「山県」や「山縣」で、みんな「山の傍ら」という意味になる。
 なるほど。まさに山の辺ではないか。ご先祖から「片山」という名をいただいた者として、私ほど山の辺の道について書くのにふさわしい人材はいない、と勝手なことを言いながら、今回は古代からつづく大和の道をじっくりと散策してみたい。

地図

 天理市のハイキングマップでは、桜井駅を起点とし、長岳寺(ちょうがくじ)を経由して天理駅を終点とする約16キロのコースが「山の辺の道」として紹介してある。私たちも基本的にこのコースをたどるわけだが、マップとは逆に天理駅からはじめて、仏教伝来の地である大和川河岸の海柘榴市(つばいち)をめざすことにした。
 天気のいい初春の昼下がり、工事中の天理駅前を抜けてぶらぶら歩いていく。すぐにアーケードのある商店街に入る。この商店街には、天理滞在中によくお昼ご飯を食べにいくが、たいていは食事が終わるとすぐにつぎの目的地へ向かうという不義理を重ねてきた。今日は急ぐ必要もないので、ゆっくりお店を見てまわろう。

天理本通り商店街 【天理本通り商店街】美味しそうな食べ物屋さんが多い。どのお店も飾らない気さくな雰囲気。甘味のお店にも心をそそられるけれど、私もカメラマンも糖質が気になるお年ごろ。

 古本屋さんがある。何か掘り出し物が見つかりそうだ。奈良漬や菓子類を売っているお店。懐かしい趣の食堂が何軒か目に付く。ショーケースのなかの食品サンプルがいい味を出している。メニューにもなんとなく昭和の面影が。いつか食べに来てみようかな。造り酒屋には、つい足を踏み入れてしまう。試飲を勧められたけれど、仕事中ですからと断った自分を褒めてあげたい。
 商店街を抜けると天理教の神殿だ。はじめて訪れたときから、ここの清浄な空気に魅せられている。信仰心のない私のような者も、たびたび訪れたくなる。聖なる場所は清らかな場所。「おかえりなさい」と声をかけられ、素直に「ただいま」と答えている自分がおかしい。手振りを繰り返す人たちに混じって、見よう見まねでお祈りをする。また帰ってきました。

天理教教会本部【天理教教会本部】ここに来ると、いつもより少しだけ自分が善い人間になったような気がする。もちろん錯覚だ。でも一瞬、善い人間になろうという気持ちになるのは確か。子どもたちの目が生き生きとして美しいのも、この町の特徴。

 最初の散策スポットは石上神宮(いそのかみじんぐう)。日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として、古代信仰のなかでもとりわけ異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福(じょさいしょうふく)・百事成就(ひゃくじじょうじゅ)の守護神として信仰されてきた、と由緒書(ゆいしょがき)にはある。神武東征(じんむとうせい)に霊験のあったとする剣を祀っているほか、国宝の七支刀(しちしとう)など多くの武器、武具、宝玉の類を収蔵する。本殿は拝殿奥に区画された禁足地に立ち、拝殿、楼門、さらに永久寺から移設した摂社出雲建雄(せっしゃいずもたけお)神社拝殿など、国宝や重文の建築を数多く見ることができる。

石上神宮 【石上神宮】『万葉集』の時代から多く歌に詠まれた石上。「石上布留」で枕詞や序詞として修辞的に使われている例も多い。古代より呪的な場所だったのだろう。

 物部氏の「モノ」は、もともとは精霊を意味したらしい。それが平安期になって「モノ」の怨霊と解されるようになり、「モノノケ」という言葉が生まれた。この「モノ」を扱う呪術を伝えたのが物部氏であった。石上一帯に勢力をもち、石上神宮の神宝を管理するだけでなく、魂振りなど神道の伝統を守り伝えたといわれる。その社は鬱蒼と茂った樹林に抱かれ、森閑として落ち着いた雰囲気である。風に竹が鳴ると、遠く万葉の時代へ誘われるようだ。

道 古人が行き来したのは、こんな道だったのかもしれない。後ろ姿はなんとなく思索的だが、頭のなかでは「トトロに会えないかな」なんて考えている。小鳥の鳴き声が心を和ませてくれる。

 柿畑が点在する野の道を歩いていく。このあたりの柿畑は、手入れや収穫しやすいように、大人の背丈ほどの高さに剪定されている。やがて前方に池が見えてくる。道端に「内山永久寺跡」のプレートが立っている。鳥羽天皇の勅願により、永久2年(1114)に頼実僧都が創建したとされる寺は、藤原時代後期から江戸時代にかけて、多数の堂塔を擁(よう)して栄えた名刹(めいさつ)であり、一時は法隆寺に匹敵するほどの大寺であったと言われる。しかし明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって廃寺となり、いまは本堂池を残すのみ。池のほとりに「うち山やとざましらずの花ざかり」という芭蕉の句碑が立つ。桜の木が植わり、芭蕉が訪れたころをわずかに忍ばせる。
 それにしても芭蕉や人麻呂(ひとまろ)といった俳聖・歌聖の歩いた道を、私のように歌心のない者が気ままに歩いている。なんという贅沢。ここは無理をしてでも一句ひねりたいところだが、どうせ不細工で無作法な作物にしかならないだろうからやめておこう。池の水に映る春の陽が暖かそうだ。
 散策に気持ちのいい道がつづく。雑木林のトンネルのなかで野鳥が盛んに鳴いている。つぎに目指すのは夜都伎神社。「やつぎ」と「やとぎ」と二通りの読み方がある。どういう意味なんだろう。奈良の春日神社と縁故が深く、鳥居は嘉永元年(1848)に春日若宮から移されたものという。本殿は檜皮葺(ひわだぶ)きで拝殿は茅葺き。とくに茅葺きの社は非常に珍しいものらしい。

夜都伎神社 【夜都伎神社】はじめて山の辺の道を訪れたときから、とくに気に入っている場所の一つ。いつ来ても同じ雰囲気、同じ穏やかな気分に浸れる。時間を気にせずにくつろぎたい。

 社の縁側に腰掛けてしばしの時間を過ごす。いつ来ても人の姿がなく、掃除の行き届いた境内はひっそりとしている。ふと「神様の遊び場」という言葉が頭に浮かぶ。いかにも目に見えない神様が、かごめかごめや鞠つきをして遊んでいそうな、秘めやかで懐かしい場所だ。時計を見ると午後5時になろうとしている。日も暮れてきた。本日の散策はここまでにしよう。

花
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