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悠々まほろば散歩
聖徳太子ゆかりの地を歩く page1/2

エッセイ・聖徳太子ゆかりの地を歩く 「悠々まほろば散歩」 作家 片山 恭一×写真家 小平 尚典

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 聖徳太子(しょうとくたいし)、本名厩戸皇子(うまやどのおうじ)。出生は576年、死去は622年とされる。10人(8人から36人まで諸説あり)の話を聞き分けられるという、超解析度のいい耳をもつ古代の天才。仏教を篤く信仰し、天皇を中心とする中央集権の国家体制の確立に尽力した。さらに教科書的な知識によれば、蘇我馬子(そがのうまこ)とともに物部氏を滅ぼし、推古(すいこ)天皇の皇太子(摂政)となり、氏姓制によらない能力を基準とした官吏登用制度として冠位十二階を定め、「和を以(もっ)て貴(とうと)しとなす」で有名な十七条憲法を制定した。とにかく偉い人、立派で畏れ多いお方である。

法隆寺遠景 【法隆寺遠景】遠目にも美しい五重塔。思わず掌を合わせたくなる。

 しかし何より、私たちの世代(ちなみに私は昭和34年生まれ)にとって聖徳太子とは、1万円札の顔、高額紙幣の人であった。ちょっと調べてみると、私たちの知っている1万円札が登場したのが1958年(昭和33年)で、この紙幣は1984年(昭和59年)まで使われている。なんと私の20代前半までの人生は、そっくり聖徳太子とともにあったのだ。加えてこの時期は、日本の高度経済成長期と重なっている。敗戦後の混乱期を乗り越えた日本人は、いわば聖徳太子とともに新しい戦後の社会をつくってきた。みんなで力を合わせ、平和で豊かな国を築き上げようとした時代、そのシンボルが聖徳太子であった。経済成長にも民主主義にも夢があった時代……。

法隆寺界隈 【法隆寺界隈】人々の暮らしのなかに信仰があり、信仰のなかに暮らしがある。信仰と暮らしが浸透しあうのが、この国に根付いた仏教の姿。

 聖徳太子が紙幣の肖像を引退したころから、日本経済はバブル期に入る。その後、バブル崩壊とともに長い経済低迷期を迎え、さらにサブプライムローン問題をきっかけとした世界金融危機を経て現在に至る。とくに2008年のリーマンショック以後は、素人の感覚からしても、明らかに日本の社会は変わってきている。あらゆる面で格差が拡大し、就職も結婚もできない若い人たちが増え、深夜営業の店を渡り歩く人たちが目につくようになった。世界に目を転じれば、各地で頻発するテロと戦乱は終息の気配さえない。この不安定な世界の動きのなかに日本も巻き込まれようとしている。一言で言えば「地球上の誰も呑気にはしていられない」という感じである。

 いやあ、聖徳太子の時代はよかったなあ、といったちょっと寂しい郷愁に浸りながら、明日香(あすか)、斑鳩(いかるが)の地で静かに余生を送っている(と思われる)、太子の足跡をたどってみた。

地図

法隆寺南大門前 【法隆寺南大門前】小学校の修学旅行だろうか。子どもたちを見下ろす門のたたずまいも、なんとなくやさしげである。訪れる人によって建物が趣を変えるのは、そこに魂が入っているから。

 まず向かったのは法隆寺(ほうりゅうじ)。聖徳太子といえば法隆寺でしょう。しかしこのお寺、ユネスコの世界文化遺産になったせいもあって完全に観光地化しており、いにしえの香りは薄い。取材を申し込んだ際のお寺側の対応も、きわめてクールでビジネスライク。よって、外側から見るだけで通過。お隣の中宮寺(ちゅうぐうじ)に向かう。木造の菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)にお会いするためである。美しい。いつ見ても美しい。斑鳩は、この菩薩さまを眺めるだけでいい。幸い、法隆寺にくらべると訪れる人も少ないので、30分でも1時間でも、心ゆくまで仏像の前で静かな時間を過ごすことができる。

中宮寺 【中宮寺】池の水に反射した光が美しい。匠の技は水や光さえも味方につける。

 あと斑鳩の里でお勧めは法輪寺(ほうりんじ)である。女性の住職さんが親切で、講堂に納められた十体余りの仏像をゆっくり拝観することができる。ご本尊の十一面観音は立派だし、吉祥天(きっしょうてん)や弥勒(みろく)菩薩の立像は、いかにも平安時代の仏さまらしいふくよかなお姿。私がいちばん好きなのは、ちょっと栄養不足気味の虚空蔵(こくぞう)菩薩立像である。見た目は無愛想だが、見るほどに味わいのある、美しい飛鳥時代の仏像だ。

法輪寺 【法輪寺】背後は木々の茂った小高い丘、手前は稲の実った水田。いかにも斑鳩の里。この風景を見て郷愁にかられるのが日本人、と定義してもいいかもしれない。
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